芸術と潜在意識 10:芸術作品鑑賞時に〈反応〉が出る条件③

連載【芸術と潜在意識】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。

連載の流れは以下のようになる。

・現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
・スタンダール症候群の説明
・鑑賞時に<反応>“が出る作品
・鑑賞時に<反応>が出やすい条件
・芸術の本質とは何か?

=人物・用語説明=

* 今回、言説を参照する人物 *

笠原敏雄:小坂療法から出発し、ストレス・トラウマではなく患者本人の許容範囲以上の幸福が心因性症状の原因になっているという、幸福否定理論を提唱。”感情の演技”という方法で、患者を幸福への抵抗に直面させ乗り越えさせる、独自の心理療法を開発。また、日本を代表する超心理学者でもある。

グラツィエラ・マゲリーニ:イタリアの精神科医。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運びこまれる外国人観光客の症状を記録し、スタンダール症候群と名付ける。

* 用語説明 *

反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。

抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。

スタンダール症候群:イタリアのフィレンツェで、観光客が起こす発作的な心因性症状。芸術作品鑑賞中や歴史的な建築物などで起こす事が多い。フランスの小説家、スタンダールが同様の症状を発症したことからスタンダール症候群と名付けられる。

■前回から今回までの流れ—スタンダール症候群の条件とは何か?

前回は、スタンダール症候群の出やすい条件を“多機能性”、”同時成立”という用語を使いながら考察しました。今回も、引き続き検討したいと思います。

■”同時成立”という視点から、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を再検討する。

ここで、第6回で触れた、“レオナルド・ダ・ヴィンチの作品はあまり反応が出ない”という 事をもう一度考えてみたいと思います。 個人的に反応を調べた結果ですが、『岩窟の聖母』、『モナ・リザ』、『最後の晩餐』 といった作品は、ほとんど反応が出ません。 未完成作品ですが、『東方三博士の礼拝』は多少反応が出ます。(図番引用:Wikipedia)

『岩窟の聖母』


La_Gioconda
『モナ・リザ』


『最後の晩餐』


『東方三博士の礼拝』

私自身が、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を鑑賞しているさい一番気になったのは、以下のようなものでした。

背景と人物がそれぞれ独立して成り立っているように見える。
自分自身の感覚や視線が乱される事があまりない。

それ以外は背景、人物、衣服などそれぞれを描く技術の高さに素人ながら素直に感動していました。

最近になって、前回取り上げた「同時成立(が反応の原因ではないか?)」の着想を得てから作品を改めて鑑賞し直し、手稿を調べてみると、やはり複数の視点が同時に成立することを否定しているのだとわかりました。

「上下に重なり合っている人物の群像はなぜ避くべき仕事であるか-書家たちが礼拝堂の壁に用いている この一般的な慣習は当然大いに非難せらるべきである。というのはかれらは一つの物語を風景や建物といっしょに一平面状に描き、次いでもう一段高くあがって一つの物語をえがき最初とは視点を交える、続いて第三段、第四段と一つの壁面が四つの視点をもって成立っているように見えるに至る。これこそこの種の書匠の犯す愚の骨頂である。われわれは視点がその歴史書を眺める見物人の眼に(向いたところに)おかれることを知っている。

(引用:杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』、p241)」

解剖学を研究していたレオナルド・ダ・ヴィンチらしく、絵画も人間が一番自然な形で鑑賞できるように描くべきだと考えていたことが推測できます。

また、葛飾北斎もあまり反応が出ないのですが(注1)、北斎も人体研究を怠らなかった人物であり、やはり同様の理由で反応が出ないのではないかと推測しています。

■“多機能性”の範囲の拡大か、一画面か?

龍安寺の石庭やフーガの技法は、図面および譜面といういわば設計図があったので、具体的な分析をすることができました(図面は寸法が測れますし、譜面は作者の意図した音がなんだったか分かります)。

他の作品は今のところ具体性のある発見には至っていないのであくまで推測になりますが、私の直感では、おそらくソーク研究所や源氏物語絵巻においても、「複数の調和の同時成立」という意図があるのだと思います。

源氏物語絵巻は、構図に強い反応が出る要素が存在すると考えていますが、ソーク研究所の場合は、空間構成が主な反応の原因なのか、光を直接扱っている事が反応の原因なのか、現段階でははっきりとした判別はついていません。

ルイス・カーンの実の息子であるナサニエル・カーン監督のドキュメンタリー作品『MY ARCHITECT』に、ルイス・カーンのソーク研究所の映像が出てきます。

※ 22分30秒辺りから。

この映像を見ると、建物と空の変化のコントラストが非常に美しく、また、ルイス・カーンが全作品を通じて光にこだわった建築家であることを考えても、周辺の環境(自然)まで含めての建築作品と捉えるのが妥当だと考えます。

優れた建築作品には共通して言える事ですが、建築内の空間構造(比率)、光、赤の広場の例で出てきたような周辺の建築物との調和、自然との調和など、“多機能性”という用語を拡大して使いたくなってしまいます。

しかし、ここで使っている“多機能性”や“同時成立”という言葉は、“空間構成と同時に光を表現し、また同時に自然とも調和する”というような意味ではありません。

そのように拡大解釈してしまうと、絵画などは、

「造形と同時に色彩も表現している」
「美術館のように他の作品と並べても成立する」

となり、音楽は、

「音階と同時にリズムを表現している」
「映像作品と音楽を合わせても成り立つ」

という言い方ができてしまいます。

本稿で使っている“多機能性”や“同時成立”という用語はあくまで(具体的なカラクリを見つける事ができれば)要素として切り取り、説明ができる事を条件として使用しています。

・絵画で例えると……
「複数の視点が一画面で調和している」
(生理学的に考えれば視点は本来は一つ)

・音楽で例えると……
「同時に2種類の和音を弾いている」
(和音は本来、基準の音と調和する音の集合なので、複数同時には弾くと不協和音になる)

また、「強い反応が出るかどうか?」だけで考えてみると、鑑賞者の意識を拡散させるというより、一つの画面上(上記の例だと、龍安寺石庭、源氏物語絵巻、ソーク研究所、中国陶磁器)で、音楽においては1拍~小節程度の部分(フーガの技法)で”同時成立”し、その部分へ意識を集約させることに成功している作品が多い事がわかります。

『フーガの技法』は、曲集全体が主旋律の拡大や反転で構成されています。また、フーガのみならず、クラシックの作曲方法として、一つの主旋律を発展・変化させるという考え方があります。最近のポップスでも、Aメロ、Bメロ、サビ、ソロと同じメロディを変形させていく曲もあると思います。


(上記例:Minnie Riperton/Loving You)

この点を踏まえ、「一つの”多機能的”な旋律が、形を変化させながら様々なコードの組み合わせを可能にしている」という可能性も考えたのですが、この点は反応の強さには関係がないようです。

『フーガの技法』は主旋律やフーガという形式を含め、パッヘルベルの『Magnificat Fugue primi toni』という曲の借用なのですが、この曲集ではほとんど反応が出ません。曲集においてパッヘルベルは様々な教会旋法を試していますが、あくまで「様々な旋法をどのように調和させるか?」を探求しているように感じます。


Johann Pachelbel: Magnificat Fugue primi toni (d) no.1

バッハが『フーガの技法』を亡くなる直前まで公にせず、改変を繰り返していたという事からも推測できますが、あくまでバッハ自身が探求、実験をする上でパッヘルベルの曲を題材にするやり方が適していた、という事なのかもしれません。

そして、バッハが『フーガの技法』を通して探求したものは、(1拍から数小節などの単位の)部分においての、複数のコードや解釈の同時成立であると考えられます。(注2)

また、メロディ、リズム、強弱などを一切排して、音階の関係性のみに鑑賞者の意識が集約されるように作曲されている事も、強い反応が出る要因だと考えています。

今回もだいぶ話が入り組んできましたが、整理すると以下のように言えるかと思います。

・本稿で反応の原因として使っている“多機能性”、“同時成立”という用語は(発見ができれば)具体性がある要素であることが多い。“多機能性”、“同時成立”という用語は、例えば優れた建築作品は、建築内部での調和、外部の建築物との調和、自然との調和が一作品に含まれており、解釈を拡大することができるが、そのような意味ではない。

・反応の原因に鑑賞者の意識が向くようにつくられている作品で、強い反応が出る。

■今後の課題と検証の具体性について

最後に、現在検討中の課題を書いておきたいと思います。

*『光』について

まず、前稿で触れた、「絵画作品で扱う光はあまり反応は出ず、本物の光の動きを反映させた建築作品や、古代遺跡のほうが強い反応が出る」という事について。

現在のところ、以下のようなことが分かっています。

・光を扱った絵画作品……あまり反応が出ない。

・ピラミッドやストーンサークルなどの古代遺跡……多少、もしくはそこそこの反応が出る。

・光を直接的に利用する作品(ルイス・カーンのキンベル美術館、フィレンツェのブルネレスキの建築など)……そこそこ強い反応が出る。


(キンベル美術館:写真引用 Wikipediaより)

以前、古代遺跡と天体の動きに関する書籍を読んでいたとき、強い反応が出た事があります。(注3)

天体に関しては、太陽の周りを地球が回り、その周りを月が回るなど、それぞれの恒星、惑星が様々な周期や軸で周回していますし、光に関しては、地球の自転、太陽の周りを回る公転、長いものでは約25800年周期の歳差運動など、周期の違う複数の運動があり、それが反映されているのかもしれません。

これを芸術作品における“同時成立”に含めても良いのかどうかは、検討に入ったばかりで答えが出ていません。

また、別の観点としては、(諸説があるものの)宇宙空間での多次元とは、我々が認識している三次元空間や二次元平面を指すわけですが、そこで光を表現するために次元の相異を成立させる工夫が、”同時成立”を生じさせる可能性も考えています。

いずれにせよ、建築の建物内部空間、天井全体、採光部分と、様々な角度から反応を確かめないといけないのですが、それぞれの写真を探すのに苦労している状態です。

*中国陶磁器について

たびたび言及してきた中国陶磁器に関しても、反応の原因はまだわかっていません。当初は、「一つの作品として独立しており、尚且つ複数の作品を並べても成立する」などという仮説も考えていましたが、これだと他の反応が出ない陶磁器や風景画などの絵画は全て当てはまってしまうため、自分自身で却下しました。

また、とりわけ宋の時代のものに強い反応が出るのですが、作品群となるので対象となる作品を絞るのも難しい状況です。

実物を見たとき、非常に多角的な光の反射の仕方をしたように感じた事から、一つの可能性として、貫入(陶磁器の釉(うわぐすり)にできるひび)の氷裂文と反応の関係を考えています。

しかし、これも実物、もしくは貫入の拡大された写真が必要となり、確認が難しい状況です。

*検討の具体性について

フーガの技法と龍安寺の石庭に関しては、譜面と寸法が計算できる設計図が存在するので、具体的に検証することができます。

そのため、この二つの作品の反応の原因の分析を優先させてきました。

検討に具体性がないと、上記の「同時成立が反応の原因ではないか?」という説を提示しても、そう思う/思わないという回答しか得られないため、結論を出す事が難しくなってしまいます。

“反応”を目安とするという方法論をとる以上、どうしても、「私個人の抵抗に対する反応と、人類全体の抵抗に対する反応」が混在することになります。

人類全体の抵抗に関しては、作品に対する歴史的な評価の経緯や、評価はされているけど人気がないなど、その作品に対する周囲の態度も参考にしているため、全くの見当外れにはなっていないと考えています。しかし“反応”は、本来、「本質に行きつかないようにするために出る」ものです。“反応”が出る作品の原因を“反応”によって分析するという手法にはある程度の限界が存在するため、その先は精密な作品自体の分析が必要になります。

そのため、検討する作品に偏りが出るのは承知の上で、いわば譜面や設計図が存在する作品を優先し、部分から全体を見るという方法論で今後も検討を続けていきたいと考えています。

次回は、連載についての全体的なまとめと、論理的な飛躍が含まれるの承知の上で、「芸術の本質とは何か?」という難題について少々の個人的な推論を書いてみたいと思います。

=注釈=
注1:
葛飾北斎の画の反応についても、笠原先生に聞いた後に、実際に大型本を購入し自分で確認しましたが、やはり強い反応は、ありませんでした。

注2:
フーガの技法には、『未完のフーガ』と呼ばれる大作が存在します。この曲が『フーガの技法』という曲集の中の目玉として紹介される事も多いのですが、この曲に関しては、他の曲と目的が異なっているように感じます。通常の調性音楽の枠に入るため、聴きやすいのですが、実験的な部分が少ないのです。そのため、バッハの作ではないとする説もありますが、反応が出ないという事から、この曲の分析は行っておりません。

注3:
数の機能的な側面という着想を得た、ジョン・アンソニー・ウエスト『天空の蛇』や、その周辺の本になります。

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